天井のうさぎ
眠れないこどもであったわたしは、古びた家の天井のしみと仲良しでした。
一枚いちまい、天井に木の板がならべてあるのを、端から端までなんども数えたものでし
た。
その天井の木の板には、お花畑とうさぎがいました。
まあ、正確には単なるしみなのですが、幼いわたしにはそのように見えたのです。
お花畑とうさぎはセットで、右下にも、左はしにも、真ん中あたりにも、それぞれセットで住んでいました。
わたしはどこのうさぎのお部屋にも遊びに行きました。たまに二匹いました。おともだちがいるうさぎはしあわせだなぁと感じていました。
ひとりのうさぎはさみしかろう。
でもうさぎはさみしい様子など微塵も出さず、長いお耳をぴょこんと立てて、きいろい菜の花畑や、ピンクのれんげ畑の中でしあわせそうでした。
父と母の大きないびきの中で、ますますぱっちりと目が覚めてゆく孤独なわたし。
うさぎとの遊びに飽きると、ついに心細くなったわたしは、とうとう最後の手段で、階下の祖父母の部屋に行く決心をします。
みんなが寝静まった夜中、真っ暗な部屋で起き上がるのは相当な勇気が要り、さらに電気系統が壊れたままの真っ暗闇の階段をおりるのは、3つか4つのこどもにはひどくおそろしいことでした。
でもこれ以上ここに居ても、孤独に襲われるだけだということ…。その方が恐怖でした。
ついに意を決して、むくり、と起き上がり、ぎいぎい言う階段を手すりだけをたよりに降りてゆき、廊下を走って祖父母の部屋の障子を開けると、しずかにねむる老夫婦の姿がありました。
わたしはおじいちゃん子でしたから、祖父の布団にするっともぐり込み、「ねむれない」とだけ言いました。
祖父はねぼけながらも必ず目を覚まして、「かわいそうに、またねむれなかったのか」と、わたしを腕まくらしてくれて、そうすると安心して、なぜだかふしぎと、わたしは穏やかな眠りが訪れるのを待つことができたのでした。
今度、ピカレスクギャラリーさんで、「熟睡100人展」という展覧会に出展させていただくことになりました。
どんな作品を描こうか、と自分の中を探ってみたら、こんな思い出が掘り起こされました。
さて、どんな絵が出てくるのか、楽しみです。
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