わたしのディーヴァ その2
そう、それで、ユーミンの苗場コンサートのリクエストコーナーで歌ってもらいたい曲についてのおはなし。
わたしは、今年は『水の影』を歌ってもらえたら。。。と思っている。
一般的には、あまり馴染みがない曲かもしれないけれど、ファンの方は、かなりお好きな方が多いのではないかしら。
わたしはこの曲、密かに、自分のお葬式で流してもらいたいわ、なんて思っているのだ。
歌詞の一部だけ少し引用させていただくと、
時は川 きのうは岸辺
人はみなゴンドラに乗り
いつか離れて
想い出に手をふるの
ーこれは一番のサビの歌詞なのだけれど、ユーミン特有の水彩画のような情景がまざまざと浮かび上がり、脳内に美しい色彩がひろがってゆく。でも特にわたしが好きなのは、二番のサビ部分なのだ。
よどみない浮世の流れ
とびこめぬ弱さ責めつつ
けれど傷つく
心を持ち続けたい
ーわたしはこの歌詞に出会った、中学生とか高校生の時に、それまでの人生で自分に対して味わってきた哀しみ、のようなものが、一気に癒やされるのを感じた。といっても、まだ10代だから何年でもないのだけれど、それでもごく小さく狭い価値観の枠の中で、自分に感じてきた自己否定、社会不適合であると云う思い込みを払拭してくれた、そんな大切な曲なのだ。
わたしはいわゆるHSPで、とても傷つきやすい子どもだった。
今は、HSPと云う言葉が一般にも知られるようになり、わたし自身も、そうだったんだとわかってからは、だいぶ自分のことを肯定できるようになったけれど、わたしが幼少期を過ごした時代は昭和の価値観真っ只中の世代だったから、みんなと同じようなことができないー、いや、正確には、側からみたらなんでもできるのだけれど、実際にはものすごく疲弊し、傷つき、ダメージを受け、次からはそれ自体から逃げてしまう…と云うような、そんなことが大変多かった。繊細で傷つきやすい、弱くてダメなわたし。。。
それを、ユーミンは、『それでいいよ』って言ってくれたのだ。
いや、ほんと、ユーミンの言う通りで、もしも、わたしが、じぶんの弱さを克服し、何に対しても強靭な精神力で立ち向かえ、傷つくことがなくなれば、どんなに生きやすくなるだろう、
でもきっとその代償として、わたしは何かを失ってしまうのだ。
何かー、それは、繊細な感受性。人の気持ちに寄り添える共感性。匂いや味に敏感であること。音楽や絵に魂が震えるような感動を味わえること。。。
そうだ、わたしから、これを失くしてしまったら、もはやわたしはわたしではなくなってしまうのだ。これまでのように、色々なことを感じなくなってしまうのだったら、わたしはこのままがいい。わたしはわたしのままがいい。
わたしは幾つになっても、剥き出しでひりひりするような傷口を抱えながら、弱い自分のままで生きて行こう。そう思えたのだった。
ユーミンの曲にはたまにこんなエッセンスが込められているのをしばしば感じる。
そういえば3年前くらいに届いた、ファンクラブ会員あてのバースデーカードにも、同じようなことが書いてあったな。
『好奇心と傷つく心を持って、新しい何かに出会ってね、いくつになっても。』
ユーミン自身、きっとこんな心持ちで生きていらっしゃるのだろうと思う。
だからいくつになってもエネルギッシュで、少女のようにピュアなのだ。
わたしは今日も、やわやわハートで、地面から5ミリくらい浮いたところで生きていく。
冷蔵庫にペタ、と貼った、このユーミンのバースデーカードを見ながら、うん、うん、そうだよね、うんうん、と一人でうなづきながら。
*『水の影』は、アルバム『時のないホテル』『日本の恋と、ユーミンと』に収録されています。
もしご興味があれば、ぜひ聴いてみてください❤︎
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